スキーの歴史を知る!紀元前から現代まで日本と世界のスキー史

今では冬のレジャーとして当たり前に楽しまれているスキーですが、実はスキーには数千年以上の歴史があります。直近の約200年の間でスキーは急激に進化してきました。技術の発展、軍事でのスキー利用、スポーツ競技としての発展など、様々なスキーの歴史についてのドラマもここでは紹介します。また、紀元前の時代にあったスキーや、初めて日本にスキーを伝えたレルヒ、スキーの歴史年表についても紹介しています。このページでスキーの歴史を手軽に知りましょう。

世界のスキーの歴史

人類がスキーと出逢ったのは、さかのぼると紀元前の頃です。はるか昔に人間が雪上を歩行するために生み出した知恵が、今私たちが楽しんでいるスキーにつながっています。ここでは世界のスキーの歴史を4つの時期に分けて振り返ります。

1-1. <紀元前1万年~紀元前2500年>スキーのはじまり

歴史上で最も古いスキーは、紀元前1万年から紀元前2500年頃に、人間が雪上での移動や狩猟を行うために使っていた、木の板や“かんじき”のようなものであったと言われています。(大昔過ぎて確かな資料や事実は分からないことが多いですが、ここでは、「人が何か道具を足に付けて雪上を移動すること」をスキーと定義して説明しています。)発掘された遺跡や壁画によると、紀元前1万年頃の北欧や、紀元前8、000年頃の中国、紀元前2,500年頃のロシアなどでスキーが行われています。もちろんこの頃は、今の様なスキー板に2本のストックを持って滑るスタイルではなく、板切れを足に固定して弓矢を持ち歩行して狩猟したり、雪上を歩行したりしていたと考えられています。

1-2.<紀元前2500年~1800年>冬の移動手段として実用されたスキー

この時代、スキーは時間をかけて冬の移動手段として実用されていきます。また軍事目的でスキーが使われ始めるようにもなり、1600年代のノルウェーでは軍隊にスキーの訓練があったといいます。また同時期のノルウェーには、囚人に対して山の上からスキーで下らせる刑罰があったという逸話があり、これが現代のスキージャンプの起源になったという説があります。

そして、1769年にはノルウェーで最初のスキー競技会が開催されます。これがスポーツとしてのスキーが誕生した瞬間です。

1-3. <1800年代>近代スキーの幕開け

この時代は、スキー板の側面をターンしやすいように曲げたり、足と板を固定するビンディングが考案されたり、現代にも通じる滑走するために基本的なスキー技術が開発されます。1825年に現在のノルウェー・テレマルク地方で近代スキーの父ともいわれるソンドレ・ノルハイムにより、スキー板の先から末端までの側面を曲げサイドカーブをつける改良がされました。これによりターンがしやすくなります。また、1860年代になると、足とスキー板を固定する器具(今でいうビンディングのこと)も考案されます。これらの滑走性能を高めたスキーのことを近代スキーといい19世紀は近代スキーの発祥の世紀と言えます。

1-4.<1900年~現在>スポーツとしてのスキーの発展

1900年代は、スポーツとしてのスキー技術が発展を見せます。1900年代前半は、速いスピードで滑走するためパラレルやバインシュピールといった滑り方の技術がさかんに主張されます。また1960年代のアメリカでは、今ではもうオリンピックでおなじみのモーグルやエアリアルなどのフリースタイルスキーが流行し始めます。そして、1990年代にはスノーボードも普及しはじめ、ハーフパイプや大回転などのスノーボード競技が1996年の世界選手権から行われるようになりました。

スキー用具については、それまで1本のストックで滑走していたスタイルが、1900年代前半からは2本のストックで滑走するスタイルも新たに広まってきます。現在のスキーは2本のストックで滑るのがあたりまえですが、1911年にレルヒが日本へはじめてスキーを伝えたときにも1本のストックで滑走するスタイルのスキーでした。また、スキー板に関しては1990年代の話ですが、板が短いタイプのカービングスキーが普及し始めます。スキー板が短くて中央部が細いため、それまでのものより滑ったときのカーブの半径が小さくすむためターンがしやすく人気を博します。

2.日本のスキーの歴史

日本のスキーの歴史を4つの時期に分けて紹介します。スキー伝来前の時期に起こった雪山の悲劇、レルヒが日本にはじめてスキーを伝えた時期、しだいにスキーが広まる時期、オリンピックのスキー競技で日本人選手が活躍する時期の4つにまとめました。

2-1.<1902年(明治35年)>スキーが伝わる前に起こった悲劇・八甲田雪中行軍遭難事故

明治35年に冬の青森県八甲田山で訓練のため雪中行軍していた日本陸軍青森歩兵第5連隊の軍人が猛烈な吹雪で遭難し、199名が命を落とす事故が起こります。この時はまだ日本にスキーが伝わっていなかったので、かんじきや革靴という装備で訓練に必要な食料や資材をソリに乗せて行軍していました。

遭難は猛吹雪や積雪量の増大など天候悪化が大きな原因で、そういった環境下で資材を運ぶソリ運搬の限界・行軍装備の乏しさ・炊事作業の困難さ・食糧不足などの悪要因も遭難の危機に拍車をかけました。しだいに、凍傷になる者、凍死してしまう者、極限状態のため川に飛び込んでしまい叫びだしてしまう者も出てきて、総勢210名で出発した行軍が最終的に199名も死亡するという世界最大級の山岳遭難事故となってしまいます。当時の日本は日露戦争の2年前という時期で、ロシア軍が青森県の八戸に侵攻してきたことを想定し、陸軍はこの行軍で青森〜八甲田山〜十和田市というルートで冬季に進軍できるか調査をすることを目的としていました。

この遭難事件はその後、小説や映画にもなり、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨(ほうこう)」や高倉健が出演した映画「八甲田山」が有名です。この悲劇は、日本にスキーが伝わる9年前の出来事でした。

2-2.<1911年(明治44年)>日本に初めてスキーを伝えた外国人「レルヒ」

1902年の八甲田雪中行軍遭難事故のあと、1909年(明治42年)にノルウェー国王ホーコン7世がスキー板2台を事故のお見舞いとして明治天皇宛に進呈しますが、日本でのスキーの始まりはもう少し先のことです。

1910年にオーストリア人のテオドール・エードラー・フォン・レルヒ(とても長い名前なので以下ではレルヒと言います)が来日します。このレルヒが日本に本格的なスキーを持ち込んだ人となります。レルヒは、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人で日本のオーストリア大使館で武官として働きますが、レルヒはもともとアルペンスキーの創始者マティアス・ツダルスキーの弟子でもありました。

日本の陸軍が1902年の八甲田雪中行軍遭難事故の苦い経験からレルヒのスキー技術に注目し、来日翌年の1911年(明治44年)にレルヒは新潟県の高田で陸軍へスキーの技術を教えることとなります。日本側は、連隊長の堀内文次郎が将校(将校とは部隊を指揮するエライ人のこと)11名を選抜し、レルヒにスキー指導を受けさせます。これが日本におけるスキーの始まりとして知られ、その後スキーが民間にも広がっていくきっかけとなります。ちなみにこの時のスキーは、2枚のスキー板にストック1本というスタイルでした。

その後、レルヒは北海道でも陸軍にスキー指導したり、また日本各地を旅行したりして大正2年に帰国しています。ちなみに、レルヒによる一番最初の指導が現在の新潟県上越市で行われたことから、新潟県のスキー関連ご当地キャラクター「レルヒさん」は、このレルヒをモチーフとしています。

2-3.<1912年~1945年(大正~昭和初期)>しだいに普及しはじめるスキー

レルヒがスキーを教えてから徐々に日本国内でスキーが普及しはじめます。大正時代には、1923年(大正12年)に第1回の全日本スキー選手権大会が小樽で開催されます。この時の種目は、距離・テレマークスラローム・クリスチャニアスラローム・純ジャンプでした。また、1925年(大正14年)には全日本スキー連盟(SAJ)が誕生し、その翌年には国際スキー連盟(FIS)へ加盟するなど環境面も整備されていきます。

昭和に入ると、1928年(昭和3年)に日本は初めて冬季オリンピックに参加することになります。第2回冬季オリンピックのサン・モリッツ大会へ5名の選手団を送りだしたことが日本の冬季オリンピック初参加となりました。この当時は今のような飛行機での移動は無い時代なので、選手たちはシベリア鉄道でヨーロッパへ向かいました。

1930年(昭和5年)には、オーストリアのスキー講師であるハンネス・シュナイダーが来日。野沢温泉など各地のスキー場での指導を3ケ月間行いました。

2-4.<1946年~現在(昭和中盤~現在)>日本人のスキー技術が進みオリンピックへの参加が続く

第二次大戦後は、スキー技術の進歩が進みオリンピックへの参加が続きます。戦後の日本で最初に国民の関心を集めたスキーの出来事は、1956年のコルチナ・ダンペッツオオリンピックでの日本人スキー競技初のメダリスト誕生です。アルペンスキー競技で猪谷千春が銀メダルを獲得します。実は猪谷の銀メダルは、日本にとって冬季オリンピックでの最初のメダル獲得でした。

日本中を沸かせたスキーのエピソードもオリンピックが中心です。1972年札幌オリンピックでは、日本人がジャンプの70メートル級で表彰台を独占することが起きます。笠谷幸生が金メダルを、金野昭次が銀メダルを、青地清二が銅メダルを獲得し、日本中が日本人の表彰台独占に大きくわきました。1998年の長野オリンピックをきっかけにモーグル競技もよく知られるようになりました。これは、女子フリースタイルスキー・モーグルで、里谷多英が金メダルを獲得したことから来ています。モーグルは急斜面でこぶやジャンプ台の上を滑る競技で、日本人にとっては里谷の金メダルがなければ、モーグルはいまほど知名度がないかもしれません。

スノーボードの日本での広まりも、実はオリンピックがきっかけと言われています。スノーボード競技は、1998年の長野オリンピックから採用されます。まだこのころの日本のスキー場ではスノーボードは危ないとみなされて邪魔者扱いされていたこともありました。しかし、オリンピックでスノーボード人気に火がつき、多くのスキー場がスノーボードでの滑走を解禁しはじめます。今や長野オリンピックから20年以上が過ぎ、そういった過去など無かったかのようにゲレンデでスノーボードがあたりまえに楽しまれています。

3.スキー歴史年表

18世紀以降の日本と世界のスキーの歴史を年表にまとめました。スキーにまつわる1つ1つの出来事を全体から見ることができます。

1769年 【世界】 ノルウェーで最初のスキー競技会が行われる。これがスポーツとしてのスキーの第一歩となる。

1808年 【日本】 間宮林蔵が江戸幕府の命で樺太(現在のロシア)を探索。後の書物でスキーに似た板を足に付けストック1本で探索した様子が残る。(現地民という説もあります)

1860年 【世界】 ノルウェー王室がスキーの勝者に賞を与える。スキーのスポーツ化が進む。

1888年 【世界】 ノルウェー人のフリチョフ・ナンセンがスキーでグリーンランドを横断する。

1902年 【日本】 八甲田山で雪中行軍遭難事件が起こる。猛吹雪の雪中行軍で日本の軍人が199名亡くなる。この事件がきっかけでスキー研究の必要性が認識される。

1910年 【日本】 オーストラリア=ハンガリー帝国軍人のレルヒ少佐が日本に着任。

1911年 【日本】 レルヒが新潟県高田の日本陸軍第13師団の堀内文次郎ら11人にスキー技術を教育する。これが日本初のスキーとなる。

1923年 【日本】 第1回目の全日本スキー選手権大会が開催。

1924年 【世界】 第1回冬季オリンピックがフランス・シャモニーモンブランで開催。スキー競技も採用される。

1940年 【日本】 日中戦争の戦時下であったため日本での札幌オリンピックが中止となる。

1954年 【日本】 フランスからピエール・ギヨーとアンリ・オレが来日し、国内各地でスキー技術を教える。

1956年 【日本】 イタリアでコルチナ・ダンペッツオオリンピック開催。日本人初のメダリスト誕生。(アルペンスキー銀メダル・猪谷千春)

1961年 【日本】 1回目のスキーブームが到来。余暇を楽しむレジャーブームをうけ、スキー客が年間100万人を突破する。

1968年 【日本】 フランス・グルノーブルオリンピック開催。初めて日本人女子がスキー競技で出場する。

1972年 【日本】 2度目のスキーブームが到来。札幌オリンピックが開催され、スキー競技で日本人初の金メダリスト(スキージャンプ70m級・笠谷幸生)が誕生。このオリンピックがきっかけに2度目のスキーブームとなる。

1987年 【日本】 3度目のスキーブームが到来。女優の原田知世と俳優の三上博史(55)らが出演した映画「私をスキーに連れてって」がヒットし、バブル景気の到来もあり3度目のスキーブームとなった。

1993年 【日本】 室内大型スキー場・ザウスが千葉県船橋市にオープン。1年中スキーができたことから夏期はアルペンスキー選手のトレーニングにも利用される。

1998年 【日本】 長野オリンピック開催。スキー競技でもメダルラッシュ。岡部孝信・斉藤浩哉・原田雅彦・船木和喜・里谷多英が金メダルを獲得。

2003年 【日本】 ザウスが営業終了。ザウスは10年間限定営業の施設だったため取り壊され、後に跡地はイケアや大型マンションとなる。現在も営業する室内スキー場では狭山スキー場(埼玉県所沢市)やスノーヴァ新横浜(神奈川県)などがある。

2017年 【日本】 映画「私をスキーに連れてって」の公開から30周年。JR東日本が当時映画に出演した原田知世らを起用した広告展開をして話題を集める。

4.オリンピックでのスキーの歴史

現在、スキーが広く親しまれているきっかけの1つには、オリンピックのスキー競技もあります。ここではオリンピックでのスキーの歴史を紹介します。

4-1.冬季オリンピックでの競技種目としてスキー

20世紀に入ると、滑走性能が高まったスキー用具のおかげでスキーがスポーツとして本格的に位置づけられていきます。その象徴が冬季オリンピックでのスキー競技の採用です。

1924年に第1回の冬季オリンピックが、フランスのシャモニー・モンブランで行われました。スキー競技ではスキージャンプ、クロスカントリースキー、ノルディック複合の3つが採用されています。記念すべき第1回大会でのスキー種目の金メダリストは、3種目ともノルウェー勢が独占という結果でした。さすがは近代スキー発祥の地スウェーデンですね。ちなみに日本は、前年に関東大震災が起こった影響で選手団の派遣を見送っています。

その後、4つめのスキー種目として1936年のドイツ・ガルミッシュ=パルテンキルヒェンオリンピックからは、アルペン競技が採用されます。アルペンは、スキー選手が雪山を100キロ以上のスピードで下ってタイムを競う迫力ある競技です。モーグルなどのフリースタイル競技は1988年のカナダ・カルガリーオリンピックから採用されました。そして1998年の長野オリンピックからはスノーボード競技が採用され、ハーフパイプや大回転といったスノーボードならではのダイナミックさを楽しめる種目が加わり、より一層スノーボードが身近になりました。

4-2.主なスキー競技での日本人メダリスト

日本人の冬季オリンピックでのスキー競技メダル数は、第1回のシャモニー・モンブラン大会から、第23回のピョンチャン大会までに26個獲得しています。内訳は金メダルが6個、銀メダルが12個、銅メダルが8個となっています。ここではスキー競技での主要な10人の日本人メダリストを紹介します。

※JOC(日本オリンピック委員会)による冬季競技の区分では、スノーボードもスキー競技の1つとされているため、ここではスノーボードのメダリストも含めています。また、バイアスロン(クロスカントリースキーとライフル射撃を組み合わせたスポーツ)は、スキー競技とは別のバイアスロン競技となされているためここには含めていません。

<見方>氏名のカッコは競技名です。大会名/種目と続きます。

  • 髙梨 沙羅(スキー・ジャンプ)
    2018年ピョンチャン大会(銅メダル)/女子ノーマルヒル個人
  • 平野 歩夢(スキー・スノーボード)
    2018年ピョンチャン大会(銀メダル)/男子ハーフパイプ
    2014年ソチ大会(銀メダル)/男子ハーフパイプ
  • 渡部 暁斗(スキー・ノルディック複合)
    2018年ピョンチャン大会(銀メダル)/ノーマルヒル個人
    2014年ソチ大会(銀メダル)/ノーマルヒル個人
  • 原 大智(競技:スキー・フリースタイル)
    2018年ピョンチャン大会(銅メダル)/男子モーグル
  • 葛西 紀明(競技:スキー・ジャンプ)
    2014年ソチ大会(銀メダル)/男子ラージヒル個人
    2014年ソチ大会(銀メダル)/男子ラージヒル団体
    1994年リレハンメル大会(銀メダル)/ラージヒル団体
  • 平岡 卓(スキー・スノーボード)
    2014年ソチ大会(銅メダル)/男子ハーフパイプ
  • 竹内 智香(スキー・スノーボード)
    2014年ソチ大会(銀メダル)/女子パラレル大回転
  • 里谷 多英(競技:スキー・フリースタイル)
    2002年ソルトレークシティ大会(銅メダル)/女子モーグル
    1998年長野大会(金メダル)/女子モーグル
  • 船木 和喜(競技:スキー・ジャンプ)
    1998年長野大会(銀メダル)/ノーマルヒル
    1998年長野大会(金メダル)/ラージヒル
    1998年長野大会(金メダル)/団体
  • 荻原 健司(競技:スキー)
    1994年リレハンメル大会(金メダル)/ノルディックコンバインド
    1992年アルベールビル大会(金メダル)/ノルディックコンバインド

現在はスキーが当たり前のように楽しまれていますが、ここで紹介したようにスキーには様々な歴史がありました。このページがスキーの勉強や話のネタになれば幸いです。次にゲレンデに立つときにはふとスキーの歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

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